8.トライバルメディアハウス #瀬戸内サニーのはじまりのはじまり

僕はトライバルメディアハウスが大好きです。先輩たちには本当に可愛がって頂き、本当に多くのプロジェクトに携わる中で、SNSやマーケティング全般業務に携わらせて頂きました。みんなコツコツ仕事をやる人たちかつ、フジロックやロッキンなどのフェスにも社員メンバーで行くなど、本当に楽しく仕事をさせて頂きました。

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だけども、鬱になりかけました

1年目は、終電帰り、休日出勤の日々が続きました。自分のちっぽけなプライドと勝負してたんだと思っています。もちろん、僕の周りの先輩たちは僕の事を本当に心配してくれて、ランチや飲みに誘って頂きました。休日にも一緒に温泉に行ったりもしました。改めて今経営者になってあの時の事を振り返る機会が多くなっています。ありがたい経験でした。ただ、それでも1年目の秋頃、三連休なのに全日出社してる三日目。出社しようとしている都営浅草線の地下鉄で電車に飛び込む事を想像している自分がいました。

このままだとヤバイ。私塾を開いてもらいました

このままだといけないと思い、経営陣の一人に相談してランチに行きました。そこから、社内で一番エッジの聞いた先輩に憧れてて、その先輩に「弟子入りさせてください!!」ってFacebookでメッセージを送ったんですよね(笑)それからその先輩には毎週1回ランチのときに私塾を開いてもらい毎回課題をもらいました。

その課題に対して提案を毎回してフィードバックをもらって、それを3〜4ヶ月間くらい続けて頂いて、2年目からはその先輩のもとで、プロモーション関係のお仕事をさせていただく事になりました。そして、そのプロモーション関係の仕事をするチームがめちゃくちゃ楽しくて、もちろん2年目でもまだまだ仕事はできなくて空回りしまくっていたのですが、2年目後半にある炎上案件が発生して、その案件は死ぬ気で頑張ったので相当鍛えられました(笑)

マーケティングは文化作り

この時から、僕の中ではマーケティングは文化作りという着想を得ました。どう生活者の人たちに商品や地域を受け入れてもらってもらえるか。プランニングディレクターという企画するところから実施するところまでを一括してやらせてもらえるような立ち位置で鍛えて頂きました。

当時一緒に案件をしていた人たちがみんなプロデューサー気質な方達ばっかりだったので、そういう先輩たちと一緒に仕事ができる楽しさを経験しました。

3年目が終わる時期に転職を

もともと3年働いたら違うチャレンジをしたいと思って入社していました。そして、インターネットメディアを活用したタイアップ企画もよく提案していたので、よくインターネットメディアの動きはチェックしていたのですが、その中で「BuzzFeed Japan」というインターネットメディアが気になっていました。

メディアの姿勢に加え、地方にも力を入れている記事が多い背景から自分の興味関心に近いと思っていたとき、むしろ向こうからオファーが届きました。

続きます。

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