9.BuzzFeed Japan #瀬戸内サニーのはじまりのはじまり

トントン拍子で決まり転職

そこから転職活動をしてトントン拍子で「BuzzFeed Japan」に入社をしました。まだBuzzFeed Japanも創刊して3年目でさらにここから会社として成長していこう。そういうフェーズで刺激的で優秀な仲間たちとの仕事に最初はワクワクしていました。

仕事は料理動画メディア「Tasty Japan」や「BuzzFeed Japan」などのメディア戦略から運用まででした。ただ個人的には「地域」に関わるようなコンテンツを作っていきたい、またそういう仕事もできるというお話で入ったのですが、ややそこにはギャップがありました。

その中でも、BuzzFeed本国(アメリカ)のメンバーとの定期的なミーティングや自社独自のデータ分析ツール、加えてYahoo! Japanとの合弁会社であることから、Yahoo!Japan社員と同じような日本で一番いいオフィス環境で仕事をさせていただけました。また、Yahoo!Japan社員と一緒に仕事をする中で大企業で働く感覚というのも若干学ぶことができました。

実はクビになりかけました

これ結構衝撃的なのですが、僕はBuzzFeed Japanを一度クビになりかけました。

先に言っておくと、僕の完全にパフォーマンス不足です。ただ、そこからなんとか周りのチームメンバーに助けられパフォーマンスをカバーし、残れることにはなりました。ただその時に思ったんです。あれ、「俺東京になんのためにいるんだろう?」って。

もともと、香川県で自分で何かやりたいって思ってたんじゃないのって。そうやっていろんな人に相談して、他企業への転職も検討したけど、結局「逃げ」でしかないと思いました。あと、正直起業を選択したけど、当時「起業したい!!」って感じではなかったことを記憶しています。

どっちかというと相談した起業家の友達や先輩、周りの人たちに背中を押されて。ファーストペンギンってカッコよく見られるけど、実際は周りに背中を押されて泣く泣くっていうパターンで、正直初めはそんな感じです。だけど、飛び込んでみないと分からない。そう思って飛び込びました。やっぱ会社作るっていう決断は凄く勇気がいったので。

ただ、当時企業を迷っている時、自分がやりたいこと、理想とする社会を考えたときに、地方・香川県に会社を作ることは世の中に必要なんじゃないか。そう感じるような出来事もたくさんありました。また、おばあちゃんが亡くなったことや、年齢的なことも考えると20代で挑戦した方が応援して頂きやすいといった考えもありました。

起業の選択をしたときに、BuzzFeed Japanのメンバーは、みんな僕の背中を押してくれました。退職しても飲みに行ったり。前職メンバーの動きは常にチェックしてて、本当に東京で一緒に戦った戦友という感じです。

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