僕の出身は兵庫県です。香川県出身ではありません。でも東京で働いたあと、帰ってきた場所は香川県でした。
そこの理由にたどり着くまでに、いろんな出来事があります。ただ、その出来事は全て点のように見えて、実は一筋の線になっているんじゃないかなあと思います。その出来事を少しずつですが、書いていきます。瀬戸内サニー、はじまりのはじまりの「第一話目」です。
もともとスポーツドクターになりたいと思ってた
僕はもともと、幼少期からサッカーを始め、中学高校とサッカー部にて部活動に明け暮れる日々を過ごしていました。なので、高校2年生くらいから将来の進路とかを考える時も「サッカーに関わる仕事をしたい」と思って過ごしていました。その一つに、理学療法やスポーツ化学などを学んでサッカーに関われるスポーツドクターになりたいと思ってたんです。
だけど、まあ人生そんなうまくはいかなくて、やっぱりそういう学部ってめちゃくちゃ偏差値高かったんです。だから、センター試験を受けたあと、進路志望を変更せざるを得なかった。そこで親に相談して、親が教師だったこともあって、センター試験の点数では合格県内の関西にある教育大学を前期で受けたんです。だけど、まあそれまで「スポーツドクターになりたい!」と思ってたので、モチベーション激落ちですよね(笑)
案の定、その教育大学は落ちました。そこで、もはやモチベーションが落ちすぎてて普通に二次試験を受けると厳しいなあと。なので、センター試験+小論文だけでいける教育学部のある総合大学を探したら、「香川大学」か「長崎大学」かだったんです。
上の写真は、小学生の時に母親がプレゼントしてくれた中田英寿選手のサイン入りユニホーム。僕がサッカーに関わる仕事をしたいと思ったモチベーションです。今でも大切に部屋に飾っています。
「うどん」か「ちゃんぽん」か(笑)
こんなこと言ったらあれですが、僕は「香川大学」か「長崎大学」かで選択を迫られた時に、まあサッカーしかしていない「井の中の蛙」だったので、「香川県=うどん」、「長崎県=ちゃんぽん」くらいの知識しかなかったんですね。
「うーん、毎日食べれるし、ヘルシーなのはうどんかな〜?」「ちゃんぽんは、ちょっと油っぽそうやん…。」くらいの感覚で、香川大学を選びました(笑)もちろん、兵庫県からの距離等も考えると、まあ香川大学じゃないかなとなったんですが、そんな感じの決まり方です。
正直それで後期の合格発表があったのが、3月24日くらいです。入学式まで、2週間ちょっとしかない。合格を喜ぶ暇もなく、香川県に親の車に乗せられてやってきました。瀬戸大橋で瀬戸内海を眺めながら、その先にどんな未来があるのか。当時の僕には想像もつきませんでした。
実は香川県が嫌だったし、香川大学はもっと嫌いでした
入学してから、すごく違和感がありました。大学生って時間があるじゃないですか。だからバイトとか、サークルに明け暮れる日々。そんな当たり前の大学生活を過ごしながら、本当にこのまま社会に出ていいのかなあ。なんか違うんじゃないかな。そういう人たちを大学で見ていて、大学1年生の後半から違和感を感じ始めました。(もちろんその人たちが選択してることなので、否定するつもりはないです。選択の自由だし。)だからぶっちゃけ言うと、香川大学が嫌いでした。そうなると自ずと、香川県にいることも嫌になっている自分がいました。
自分がいる世界の狭さが怖い。そんな思いを綴ったリアル黒歴史なmixi日記(笑)大学一年生の時なんて友達と連むくらいだったら一人でいた方がいいやと思って、一人で寂しく食堂で夜ご飯を食べる時もありました。心のどこかで、ここにいたら本当に「井の中の蛙」になる。その怖さしか感じてなかったんです。
なので、僕は自分の中で変わるきっかけを作りたい。そう思って、19才ではじめて海外に出るという選択をします。
続きます。
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0.出航までの物語
1.香川大学教育学部 #瀬戸内サニーのはじまりのはじまり