ども、船長です。 「#瀬戸内サニーのはじまりのはじまり」の第二話です。
前回は「うどん」で香川大学を選んだっていう話をしたんだけど、こっからは「井の中の蛙」が少しずつ大海を知っていく話です。僕は大学2年生の夏に海外留学をしました。この海外への「振り幅」が改めて、「日本のローカル」について考える僕の中でのきっかけになっていきました。ちょっと、脇道にそれながら、ゆっくりと話を進めていければと思います。
ニュージーランド出身の教授に相談
僕は香川大学が嫌いって言ったけど、好きな教授が何人かいました。その一人がニュージーランド出身の教授で、大学2年生19才の春にその先生に、「海外行って英語とか勉強したいんですけど…」って相談。
そしたら「ニュージーランド留学、ユーイッチャウ?(実際はこんなキャラじゃない笑)」って勧めらえて、治安も良いらしいし、ホームステイも手配してあげるよって色々手伝ってもらえたので、ニュージーランドのクライストチャーチという地域(日本で言う大阪みたいな第二の都市)に留学して、2ヶ月間丸々CPIT(クライストチャーチ工科大学)という大学にある付属語学学校に留学しました。
あれ、知らない人がいる…
関西空港を発ち、クライストチャーチ空港に到着。ただ、事前に教授から聞いてたのは、地元の老夫婦のホームスティファミリーが空港まで迎えに来てくれるとという話だけ。だけどそこには、サウジアラビア人の人もいて始めはなんだかわかりませんでした(笑)翌日知ったのが、彼も同じホームステイをする留学生でした。
日本人以外で初めてできた友達でした
彼とのホームステイは全てが新鮮でした。礼拝やラマダンといったイスラム教上の習慣。イスラム教は豚肉を食するのを禁止していますが、ホストファミリーが豚肉料理をオーブンで焼いてるその匂いだけで気持ち悪くなってしまい数日間寝込んでしました…。それに、日本人だと雨の日は憂鬱になりますが、彼らは喜んでむしろ雨の日に外に出かけようと言います(笑)傘をさすなんて習慣もそもそもないので、まるで水浴びをしに外に一緒に出かけさせられました(笑)
そんな文化的違いを体験しながらも、日本人としての自分自身を認識し、その相違に触れ合うような体験を2ヶ月ほど経験しました。あと、僕はサッカーをやっていたので、彼と彼のサウジアラビアの友達とは直ぐサッカーで仲良くなりました。僕にとっては今でも海外での公用語がサッカーだったりします。
ホストファミリーにも本当に支えてもらいました。週末ごとに外に連れて行ってくれました。英語の勉強にも付き合ってくれて色々教えてくれて、本当に僕にとって実のおじいちゃんやおばあちゃんのような存在でした。もう80才を超えており、今はもうどうなったのかは分かりません。生きているかもしれませんが、亡くなっているのを知るのは辛すぎて連絡できないというのが正直なところです。
ただ、飛行機に乗る前、渡されたニュージーランドのフォトブックに書かれたメッセージと写真は今でも大切に手元に置いています。(なお、後の話にも続きますが、この留学の1年後に、このクライストチャーチにて大地震が発生し、日本人が30人ほど無くなっています。)
もう10年も前なので、今では彼とは疎遠になってしまっていますが、彼と過ごした日々、そしてホストファミリーのJim & Sueと過ごした日々は一生忘れません。そして、このニュージーランドでの経験から僕はさらに大海を知りたいという気持ちが強まっていきます。
続きます。
#瀬戸内サニーのはじまりのはじまり
0.出航までの物語
1.香川大学教育学部 #瀬戸内サニーのはじまりのはじまり
2.ニュージーランドへ。 #瀬戸内サニーのはじまりのはじまり