2013年を振り返って、2014年に向けて「ローカル、グローバルから自分の立ち位置を問い直す」

2013年を振り返って、2014年に向けて「ローカル、グローバルから自分の立ち位置を問い直す」

2011年 アメリカ、2012年 東京、そして2013年 香川。

それぞれ滞在期間は違うものの自分なりに考え、行動した。ローカル、グローバルな文脈の中に自分の身を置き、自分自身が感じたこと。それを稚拙な文章ではあるが綴りつつ、来年に向けてどうするか考えていきたい。

 

東日本大震災とNZ Christchurch震災へのメッセージ

東日本大震災とNZ Christchurch震災へのメッセージ

東日本大震災。時代は、一極集中社会から分散型社会へ

東日本大震災が日本を少しずつ変えつつある。広告業界において、マス4媒体による一方通行な情報配信の時代から、ブログやソーシャルメディアの発展のおかげで個人と個人による双方向の情報配信が可能な時代に変わった。TwitterやFacebookが日本で普及したのも、震災後に人々が「震災に関する情報」や「人との繋がり」を求めたことが起因している。

また、電気業界においても、今までの地域独占型のエネルギー供給から、地域において自分たちで自然エネルギーを作ろうという分散型のエネルギー供給の流れに変わりつつある。原発事故があった国だからこそ、世界に対して自然エネルギーを推進してく必要があり、その推進活動をするのは国ではなく市民なのではないだろうか。

さらに、最近農家の方々からお話を聞く機会が多く、産直や個人でどんどん販売経路を広げいてる方もいることを知った。農家の人は、年金も農協、保健も農協、貯金も農協と農協にがんじがらめにされている。(農協を発足させたのは二宮金次郎であり、当時は時代にあった存在であった。)そんな状態では自分たちが作った野菜が、質やこだわりに関係なく市場で統一され安価な値段で販売されてしまう。そんな状況に立ち向い自分たちで勉強会を開いて日々努力をされている若手の農家さんもいる。

業界は違えど、共通することは一極集中から分散型社会、より個人や市民の力が大きくなる時代に動きつつあること。もちろんこの流れは始まったばかりであり10年、20年単位で考えないといけない。日本において、高度経済成長期に人口を東京一極集中にすることで経済的成長を加速させることに可能にした。そして、そのおかげで日本は戦後復興し経済大国といわれるまで成長した。しかし、あらゆる分野において一極集中型システムに限界が来ている。だからこそ、「これからは地方の時代だ!」「田舎万歳だ!」という言葉を耳にする機会が増えた。しかし、そういう思想的な思考に警鐘をならすべきだと、一般社団法人エリア・イノベーション・アライアンス 代表理事の木下斉氏は自身のTwitterで述べている。

これからは地方都市の時代

では、木下氏のようにニュートラルな視点から日本、そして地域を見たときに、ローカルの人たちはどんな未来に向かっていくべきなのだろうか?今年9月に開催された「まちづくりシンポジウムー生活文化創造都市推進事業【高松地域会議】」において、文化庁前長官の近藤誠一氏は「なぜこれからは地方都市の時代なのか」について基調講演をされ、「創造性と地方都市の再興」について興味深い提言をした。

何かをするにあたって国という単位は中途半端に小さくて大きい。例えば、小さな経済圏を作るには大きすぎるし、社会問題を解決するには小さすぎる。したがって、グローバル化の中で個々のアイデンティティは国よりも文化が深く根付いている都市に求められる

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写真引用:まちづくりシンポジウム:生活文化創

この提言から都市(地域)の立ち位置が見えてくる。国という単位では解決できない問題や他国から守る経済圏を作るには都市という単位がこれから求められているコミュニティの形だということだ。そして、地元回帰が強まる現在において、都市だけではなく都道府県という単位も同じことが言えるのではないかと私は思う。

その前に「都市」の定義について考えたい。国によって都市の定義は異なり、国連の定義する都市も毎年定義する人口が変化するために普遍的な定義はない。ここでは、都市とは第二次産業・第三次産業の発展に伴い、就業の場や生活の利便、あるいは文化の享受といったものを求めて人口の集中が起こり、その結果形成された大きなまちを都市と理解する。

では、近藤氏の提言に関してドイツの具体的な事例を紹介したい。

ドイツのシェーナウ市という都市がある。シェーナウ市の母親たちは、チェルノブイリ原発事故後、自分たちの子どものために脱原発を目指した社会を作ろうと「原子力のない未来のための親の会」を設立。地域独占型の電力会社と壮絶な市民投票を争った結果、送電線を買い取り自然エネルギーを中心とした電力会社を設立した市民ムーブメントだ。また驚くことは、送電線を買い取るために地元金融機関や広告代理店と協力しキャンペーンを行い、その活動に他地域、さらに国を超えた支援があり750万マルク (3億4200万円) の資金を集めた。

同市のムーブメントはまさに「国という単位では解決できない大きすぎる社会問題」を草の根から解決しようという事例ではないのだろうか。また、ウェブが発展する前で情報配信をする手段が限られている中でこれだけの多額の資金を集め、市民ムーブメントを成功させた。

一方、現代においてウェブの発展のおかげでこのような市民プロジェクトが発足しやすくなってきた。例えば、地域クラウドファウンディング「ファーボ」は地域ごとにプロジェクトを立ち上げ自分の地元を盛り上げたいという都市(地域)のビジョンに共感した人たちが金銭的支援をできるプラットフォームとして機能している。そこで、グローバルな文脈でこのような活動を伝えるときにプロジェクトへの共感ポイントになるのは、近藤氏が提言するその都市が持つ独自のアイデンティティであり、そういったアイデンティティから生まれたプロジェクトに共感するからこそ他地域や他国の人々が支援するのではないだろうか?シェーナウ市のムーブメントもチェルノブイリ原発事故が起き、「自分たちの地域の子ども達を守らなければいけない」という強い想いから発足したプロジェクトに多くの人が共感した結果なのでないかと考える。

 

自分が2022年までに目指す姿「ウチの人の気持ちがわかったソトの人」

かつての私は、海外に行きたい気持ちが強かった。それは大学が香川県で、自分の中で「このままでは井の中の蛙になってしまうのではないか」という怖さがあったからかもしれない。しかし、それ以上に「自分を高めたい」という思いが強く2年間の大学休学に踏み切り、アメリカに旅立った。(改めて全面的に支援してくれた親やそれを応援してくれた友人に本当に感謝している。)そしてアメリカから帰国後、東京でのインターン生活を経験して香川県に帰県した。

帰県後、地域に目を向けたとき、香川県という地域のオモシロさを感じた。そして、SNSやイベントを通じて多くの人に香川県の良さを知り伝える活動をして、「この地域の愛されているコトやモノはなんだろうか?」、「それをどういう写真やコピーで表現すれば伝わるのだろうか?」と、この土地に想いを寄せながらこだわりをもって情報配信している。

 

では、グローバル、ローカルな文脈で学んだことをどう次に生かせばいいだろうか?

 

ここに関しては、UNESCOユースに日本代表として参加した東京の元ハウスメイトのヤスが非常に興味深い記事を書いてくれている。

グローバル人材の必要性とか、若者の内向き問題といった言葉が、(世間一般でイメージされる意味合いで)呪文のように唱えられていますが、ローカルな地域や伝統産業と向き合って、内側からたたかって人々を元気にしている人がいる(その技術や産業や文化がある)からこそ、他の人が外向きにエネルギーを発信することができる

引用:UNESCOユースフォーラムに日本代表として参加して感じた3つのこと

 

地域をオモシロくするためには、グローバル人材(世間一般で言う英語がしゃべれる人材)よりもローカルなコンテクストを理解したローカル人材になる必要がある。また、日本の地方都市と海外の地方都市とのヒト・モノ・オカネの交流がもっと盛んになることでお互いのソースを生かし合い、社会問題を解決する手段や小さな経済圏をグローバルに作り出すこと手段になるかもしれない。その橋渡しとなる人材になれればと思う。

アメリカ留学中に出会ったインドとスペインの友人

アメリカ留学中に出会ったインドとスペインの友人

 

 

場所を選ばない新しい働き方「香川と東京の2拠点生活」

最後に、香川県にも格安航空のジェットスターが就航し、東京から1時間程度で香川県に来ることができる時代になった。(今まで約12時間かけて香川ー東京間を夜行バスで移動していたのと比較すると本当にジェットスターさまさまである。)そこでこれからの新しい働き方について考えたい。私の来年から働かせて頂く会社は副業が許可されている。(やれるものならやってみろなのかもしれないが。笑)そして、現在香川大学の教授や香川県庁、地域プロデューサーの方々から地域プロモーションのような形で情報配信の依頼をされることがしばしばある。それは、来年から働く東京のソーシャルメディアマーケティングコンサルファームでのインターン経験があったからこそ。さらに、2つ以上仕事を持つことでニュートラルな視点を持つことができ、フレッシュな気持ちで仕事に向き合うことができると思う。1時間程度で香川と東京を移動出来るのであれば場所を選ばずに仕事が出来る。事実、平日は東京で過ごして休日は香川県で別の活動をできるように動いている。決して東京での仕事に手を抜くつもりはなく、新しい働き方をすることで自分の可能性の幅を広げることに繋げたいと思っている。地理的制限がなくなった中で「あの人にお願いしよう」と指名してもらえるような仕事ができる人材になれるよう努力を続けたい。また、今月中旬に香川ビジネス&パブリックコンペ2013において応募者107名の中から最終選考5名に選出され協賛企業特別賞を受賞した。実際にそのプランの実現に向け努力していきたい。

 

 

ローカル、グローバルと異なる環境に飛び込んできた中で生まれた葛藤を自分なりに整理してみた。まだまだ未完成な考えだが、少しでも自分の未来を創る上で何かしらのまとめになればと思う。

2013年12月31日0時19分

香川大学教育学部理科研究室にて

 

 

 

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