地方移住のリアルが見えてくるからこそ、「狂う」ことを何よりも大切にしたい。

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移住&起業から1年。今日は地方にある「地方ナイナイ病」について。

(昔の記事で「地方」という言葉を使いたくないとか言っていたのですが、便宜上便利なのでタイトルで使っちゃいました(笑) ただ、僕の中での地方という言葉は、近代に増長された「東京から蔑まれたエリアを表現する言葉」ではなく、「ポスト平成時代を代表する取り組みや企業が生まれるポジティブなエリアを表現する言葉」として使っています)

現実が見え始めると出来ない理由を考え始める

人間、良くも悪くも周りが見えてくると、自分に「出来ない」とか「〜がないから無理」とか言い訳をし始めます。僕はこれを「ナイナイ病」って呼んでます。

「地方には人がいない、お金がいない、ノウハウがない、成長の刺激が少ない」

「地方発でインターネットメディア事業なんて成功しないよ」

「どうやって儲けるの?事業化なんて無理無理」

僕の背中を押してくれる仲間や事業を一緒に考えてくれる仲間がいる一方で、直接こういう言葉を言わなくても、そんな現実的なニュアンスを含んだ言葉や問いかけを大人の人たちは僕にしてきます。そして、僕も正直影響を受けやすい人間なので、自分の中でウッと現実的に考える時があるんです。これが「地方ナイナイ病」の始まりです。出来ないことを理由に行動をしない病気です。
 
ちょっと歴史のお話をします。時代は幕末。地方の志士たちは、己の志をあげて日本を変えたわけです。「400年続く江戸時代を終わらせて、次の時代を作るぜよ」って言っても何言ってんのこいつ?じゃないですか(笑)

でも彼らは、変えたんです。

その幕末に、思想家「吉田松陰」は「諸君狂いたまえ」という言葉を残しました。この言葉がよく勘違いされることがあるのですが、「クレイジーになれ」という意味じゃないです。

普通だったら出来ないと思っていること、やれないと思っていることに対して行動し、既成概念をぶっ壊して、新しいものを、面白いものを生み出していく。彼の中で、行動しないことは「悪」と考えるほど、何よりも行動を大切にしました。今その言葉の重みをヒシヒシと感じています。

だから自分に言いたい。何を今さらちっぽけなプライドを残して中途半端に行動してんの?そんなのキャリアとともに全部東京に捨ててきたんじゃないのって。どの視座でやれるのか。29才ってまだまだやんって言うかもだけど、高杉晋作は27歳で、坂本龍馬は31歳で亡くなっています。その年齢で事を成すことができるか。生き急ぐんじゃなくて、その視座で僕は会社をやっています。

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自分の中の志を掲げ続ける

また、吉田松陰は、「敵が弱いように、敵が衰えるようにと思うのは、皆、愚痴もはなはだしい。自分に勢いがあれば、どうして敵の勢いを恐れようか。自分が強ければ、どうして敵の強さを恐れようか。」という言葉も残しています。これって、周りに軸を置くんじゃなくて、自分に軸を置くことの大切さを語ってると思うんです。

どうしても経営者って、「利益と売上」を気にして近視的になる。2年目となると、なおさら、そろそろ数字も気にしないといけないって思うようになる。そうじゃなくて、もっと自分の中にあるもの(僕はよく「WANT(熱狂)」と呼んでます)を磨く。志を掲げ、ただただ行動する。そうすれば、自然と周りに人が集まる。実際、吉田松陰のもとには志を持つ仲間が集まり、松蔭が亡くなった後もその仲間たちが維新を切り開いていきました。

なので、これから「サニる」の言葉には、吉田松陰の「狂う」の意味も加えた言葉として使っていきます。今までにない面白いことが出来てるのか、行動を出来てるのか。自分に問いかける時に使っていきたい。そして、近々ブログでも告知しますが、瀬戸内サニーの2年目のメディア事業を加速してくれる仲間を募集します。どうぞよろしくお願いします!ということで、最後にこの言葉で締めくくりたいと思います。

諸君、サニりたまえ!

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